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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)12076号 判決 1980年10月31日

原告

洪呉振治

右訴訟代理人

元林義治

被告

株式会社第一勧業銀行

右代表者

村本周三

右訴訟代理人

伊達利知

外二名

主文

一  被告は原告に対し、金一五〇〇円とこれに対する昭和五四年二月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求は棄却する。

三  訴訟費用中、訴状及び訴状訂正申立書に貼用した印紙額の五〇〇円を超える部分は原告の自弁とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、五〇万七四五六円とこれに対する昭和五四年二月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、戦前日本の統治下にあつた台湾において出生し、爾来台湾に居住する者である(戦後日本国と連合国との間に平和条約が締結されたことにより日本国籍を失つた)が、昭和一七年ないし同一九年の間に台湾において、被告発行の「割増金附戦時貯蓄債券」(以下適宜貯蓄債券という)という名称の別表のとおりの無記名式債権証券(以下本件貯蓄債券という)を購入し、現にこれらを所持している。

原告は本件貯蓄債券を、券面額一五円のものは一〇円、券面額三〇円のものは二〇円でそれぞれ購入した(従つて、その購入金合計は一〇〇〇円(一〇円×九二+二〇円×四)である)。

2  原告が本件貯蓄債券を購入する際に支払つた右の一〇〇〇円は、これを現在の貨幣価値に換算すると一九万一四九三円を下らない。即ち、貨幣価値の変動は卸売物価指数によつて算定するのが公正妥当であるところ、日本銀行統計局発行の昭和五二年経済統計年報で卸売物価指数の推移をみると、昭和九年から同一一年までの平均を一とすれば、同二〇年は3.503、同五二年は670.8であるから、同二〇年から同五二年までの卸売物価の上昇率は191.493倍となり、前記の一〇〇〇円は昭和五二年における一九万一四九三円以上の実質的価値を有していた。

また、本件貯蓄債券について終戦時である昭和二〇年末から三三年間の民法所定の年五分の割合による金利は三一万五九六三円(19万1493円×0.05×33)となる。

3  よつて原告は被告に対し、右2の合計金員五〇万七四五六円とこれに対する本件訴状訂正申立書が被告に送達された日の翌日である昭和五四年二月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち、台湾の統治関係及び台湾島民の国籍についての主張部分並びに被告が戦時中本件貯蓄債券を含む「割増金附戦時貯蓄債券」という名称の無記名式債権証券を発行していたことは認めるが、その余の事実は不知。

2  同2の主張は争う。

三  抗弁

貯蓄債券は、臨時資金調整法(昭和一二年法律第八六号)に基づき政府の命令を受けて被告が発行していたもので、その発行の方法、内容等についてはその都度政府の指示を受けて行なわれ、発行による収入金は大蔵省預金部に預入し同部において運用されていた。(その実質は国庫債券と異ならない。)

本件貯蓄債券を含む貯蓄債券については、発行の都度、政府の指示により、その償還の時期、方法等を券面上に記載し、これによつて償還を行なうこととなつていたが、昭和二七年八月二五日付で政府から戦時債券全部の繰上償還を行なうよう指示され、被告はこれを受けて、同年八月二八日付官報(第七六九三号)でその償還期日を同年一〇月一五日に繰り上げる旨の公告をした。

一方、本件貯蓄債券を含む貯蓄債券については、前記法一五条一項(及びこれによつて準用される日本勧業銀行法四〇条)によれば、その元利金償還請求の権利は、元金について一五年、利子について五年の経過を以て時効消滅するものとされている。

従つて、本件貯蓄債券についてもその元利金償還請求権は、前記繰上償還期日の昭和二七年一〇月一五日から一五年を経過した同四二年一〇月一五日をもつて消滅時効が完成したこととなるので、被告は本訴において右時効を援用する。

四  抗弁に対する認否

日本政府がポツダム宣言を受諾し、台湾が日本の統治下から離脱したことにより、それまで台湾において施行されていた日本の法令は台湾の地域内では効力を失った。また、日本のポツダム宣言受諾後は、台湾に居住する台湾人は日本国内において公示される告示の内容を知るすべがなかつた。従つて、被告が抗弁で主張する法令及び公告の効力は原告には及ばない。

五  再抗弁

1  昭和二七年四月、日本国と中華民国との間に平和条約が締結され、その第三条において、中華民国の当局及び住民の日本国及びその国民に対する請求権(債権を含む)の処理については両国政府間の特別取極の主題とすることが合意されていた。ところが、右の特別取極がなされないうちに、日本国は昭和四七年九月中華人民共和国と日中共同声明を発し、これに伴い右平和条約は終了したので、右の特別取極による請求権の処理は不可能となつた。

2  原告の有する本件貯蓄債券の償還請求権が右の平和条約三条にいう請求権に該当することは明らかであるから、右条約の存続していた間(昭和四七年九月まで)は、原告は被告に対し右償還請求権を直接に行使することができない状態にあり、従つてその間は消滅時効の進行はずつと中断されており右条約終了時から改めて進行するものというべきである。

仮に消滅時効が完成しているとしても、被告においてこれを援用するのは、右1の経過からして信義に反し、又は権利の濫用である。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の事実は認める。

2  同2の主張は争う。

日華平和条約三条は、日本国ないし日本国民の台湾住民に対する個別的債務につき時効中断の原因としての債務の承認を行なつたものではない。

第三  証拠<省略>

理由

一被告が戦時中本件貯蓄債券を含む「割増金附戦時貯蓄債券」という名称の無記名式債権証券を発行していたことは被告も認めるところであり、<証拠>を総合すれば、請求原因1の事実が認められ(右の甲第一ないし第九六号証が本件貯蓄債券である。なお、戦前台湾が日本の統治下にあり台湾島民が日本国籍を有していたこと及び日本政府がポツダム宣言を受諾し(昭和二〇年八月)、日本国と連合国との間に平和条約が締結された(同二七年四月)ことにより、台湾が日本の統治下から離脱し、台湾島民が日本国籍を失つたことは顕著な事実である)、右の甲第一ないし第九六号証によれば、被告は本件貯蓄債券に対して、後に認定するような方法及び時期において、その券面額を償還する旨券面上に謳つていたことが認められる。

なお、本件貯蓄債券は台湾が日本の統治下にあつた昭和一七年ないし同一九年の間に台湾において発行されたものであるから、本件貯蓄債券に関する法律関係については日本法が適用されるものと解すべきである。本件貯蓄債権に関する法律関係は、契約に基づく債権関係であり、戦後、台湾が日本の統治下から離脱し、台湾島民である原告が日本国籍を失つたことは前判示のとおりであるが、だからといつて本件法律関係の処理につき準拠法に変動を及ぼすべき事由は見当らない。

二被告は、本件貯蓄債券の償還請求権は時効消滅した旨主張するので、以下検討する。

1  <証拠>によれば、被告(当時は日本勧業銀行)は、旧臨時資金調整法(昭和一二年法律第八六号)の規定に基づき、政府の命令を受けて、前記「戦時貯蓄債券」を発行していたもので、その発行の方法、内容等についてはその都度政府から指示を受けて行なわれ、発行による収入金は大蔵省預金部に預入され同部において運用されていたことが認められる。

2  旧臨時資金調整法、(同法は昭和二三年法律第二〇号で廃止されたが、同年法律第二一号によつて従前発行済の債券はなおその効力を有するとされた)一五条一項(及びこれが準用する旧日本勧業銀行法四〇条)は、同条に基づいて発行される貯蓄債券について、所持人が要求せざるときは元金は一五年、利子は五年にしてその償還の権利を失う旨定めており、本件貯蓄債券の券面上にも「此ノ債券ノ券面額ハ支払開始ノ月ヨリ満一五年後ハ之ガ支払ノ義務ナキモノトス」との右と同趣旨(本件貯蓄債券の券面額償還請求権が右の元金償還請求権に該当することは明らかである)の記載がある。

右によれば、本件貯蓄債券の券面額償還請求権は被告主張のとおり一五年で時効消滅するというべきである。

次に本件貯蓄債券の償還期についてみるに、前掲甲第一ないし第九六号証によれば、本件貯蓄債券を含む前記「戦時貯蓄債券」の償還については、その券面上に定めが記載されており、発行回次が同じものの範囲で、発行の年又はその翌年から毎年一回ないし二回の割合で定期的に償還の抽せんを執行し、当せんした番号のものから逐次償還していく方法で、こうして最終的に一定の時期に残余を全部償還するものであること、右の最終償還期は、債券の発行回次によつて異なるが、本件各貯蓄債券については昭和三七年ないし同四〇年であることが認められる。ところが、<証拠>によれば、大蔵大臣は昭和二七年八月二五日付で被告に対し、旧臨時資金調整法に基づいて発行した戦時債券全部を同年一〇月一五日を支払開始日として繰上償還するよう指示し、被告はこれをうけて同年八月二八日付官報(第七六九三号)で前記「戦時貯蓄債券」全部を同年一〇月一五日臨時償還する旨公告したことが認められる。ここで、本件貯蓄債券の券面上には、「此ノ債券ハ定期償還ノ外ニ買入消却ヲ為シ又ハ抽籤ノ方法ニ依リ臨時ニ償還スルコトアルベシ」と記載して、臨時償還のあることを予定しているところ、臨時償還する旨を不特定多数の債券所持人に了知せしめる方法としては、実際上公告以外に方法はないから、本件のように官報に掲示する方法によつて公告する必要があるとともにこれを以つて足りると解すべきであるから、本件貯蓄債券の償還期は右のように官報に公告されたことによつて昭和二七年一〇月一五日に到来したものというべきである。原告は、日本がポツダム宣言を受諾した後は、台湾に居住する者は日本国内において公告される官報の内容を知るすべがなく、右公告の効力も原告には及ばないと主張するが、そもそも官報に掲載することによつて公告の効力を認めるべきものとすることは、関係人の知、不知にかかわらずその効力を生ずべきものとすることが相当な場合に認められるものであるから、たまたま関係人が国外に居住している場合に、実際上公告を知る機会が乏しいからといつてその者に対する関係において公告の効力が生じないものとすることはできないといわなければならない。

以上から、本件貯蓄債券の償還請求権は、昭和二七年一〇月一五日から一五年を経過した同四二年一〇月一五日を以つて消滅時効が完成するというべきである。

三再抗弁について検討する。

1  昭和二七年四月、日本国と中華民国との間に平和条約が締結され、その第三条で、中華民国の当局及び住民の日本国及びその国民に対する請求権(債権を含む)の処理については両国政府間の特別取極の主題とする、とされていたこと、ところが、右の特別取極がされないうちに、日本は昭和四七年九月中華人民共和国との間で日中共同声明を発し、これに伴い右平和条約は効力を失つたので、右の特別取極による請求権の処理は不可能となつたことは顕著な事実であり、当事者間にも争いがない。

原告は、本件償還請求権について右平和条約の存続していた間は時効は中断されており、条約の効力が消滅したとき(昭和四七年九月)から改めて時効が進行するかのように主張する。検討するに、原告の本件償還請求権が右条約三条にいう「請求権」に該当することは明白であるが、しかし、同条は日本国ないし日本国民の個々の台湾島民に対する個別具体的債務を承認したものではないから時効中断事由たる債務の承認があつたものとはいえない。もつとも、原告の主張は、そもそも昭和四七年九月までは時効の進行が開始しない(時効の停止)という趣旨にもとれるが、右のような条約の規定があつても、条約は国家間の合意であつて、当事国の国民の権利義務に直ちに影響を及ぼすものではないから、原告が被告に対し本件償還請求権を行使するについて法律上の障害が生じたものと解することはできず、いずれにしろ右の点に関する原告の主張は採用することができず、本件償還請求権は昭和四七年一〇月一五日の経過をもつて消滅時効が完成したというべきである。

2  しかし、ここで被告の右時効援用について右の平和条約三条との関係で再度考えてみる必要がある。

右のとおり、同条があるからといつて原告の被告に対する本件償還請求権の行使につき法律上の障害が生ずるものではないと解すべきではあるが、台湾島民である原告が、同条によつて両国政府間で前記「請求権」の処理につき特別取極のなされることを期待して、本件償還請求権の行使を控えていたであろうことは容易に推認できるし、それは無理からぬところであるというべきである(右のような条約の規定がある場合、それが当事国の国民の権利義務についても直接に影響を及ぼすものであり、国民からの請求権の行使も法律上制約されるとの見解もある。)。特に、一般私人たる日本国民に対する一般の債権ではなく、記前1のとおり本件貯蓄債券は政府の命令によつて発行されその収入金は大蔵省預金部において運用していたのであつて、国庫債券にも類するものであつた(このことは被告も認めるところである)から、条約に基づく特別取極に期待をかけるのは尚更無理のないところである。他方、被告にしても、前記のとおり本件貯蓄債券の発行、償還等は全て政府の命令に従つてなしていたものであるから、右条約に従つて両国政府間で特別取極のなされることを当然期待していたであろうといえるし、実際、右条約の有効に存続していた間に、仮に本件のような償還請求のあつた場合に右条約にかかわらず直ちにその支払に応じたとは考えられない<証拠>によれば、台湾島民の日本国に対する債権につき、日本国政府は右条約のあることを理由にその支払に応せず、ずつとその支払を留保してきたことが認められ、弁論の全趣旨によれば、被告も政府と同様の立場をとつていたことは十分うかがえる)。

以上のような事情を考慮すると、原告が日華平和条約の効力が存続していた当時被告に償還を求めて権利の実現を図ることは実際上できなかつたし、被告自身償還に応じたとは考えられないのに、今更本訴において被告が時効を援用することは、信義に照らして許されないというべきである。

三以上から、被告は原告に対し、本件貯蓄債券についてその券面額を償還する義務があるというべきである。

原告は右の償還金について現在(昭和五二年)の貨幣価値に換算すべきであると主張する。しかし、本件のような金銭債権にあつては、弁済期ないし現実の弁済の時点の貨幣価値に換算して支払う旨の特約のない限り、それまでに貨幣価値の変動があつたとしても債務者は弁済期において強制通用力を有する貨幣で契約に基づく債務額を支払えば足りると解すべきである。本件において右のような特約のあつたことを認めるに足りる証拠はない(本件について政治的解決(戦後処理)の分野で右のような結論をとるのが妥当か否かとは別問題である。)。

前記一の事実によれば、本件貯蓄債券の券面額合計は一五〇〇円(一五円×九二+三〇円×四)である。

なお、原告は、本件貯蓄債券につき終戦後である昭和二〇年末から三三年間の民法所定の年五分の割合による『金利』なるものも請求している。右の『金利』が利息をいうものであるとすれば、利息を附する約束があつたことを認めるに足りる証拠はないから、右請求は失当である(本件貯蓄債券は券面額よりも安い金額で発行しており、その差額が実質的には利息にあたるといえるが、それにしても償還期に券面額を償還するとの約束であつて、券面額を超えて利息を附する約束のあつたことを認めるに足りる証拠はない。)。遅延損害金をいうと解しえないではない。しかし、前記のとおり本件貯蓄債券の償還期は昭和二七年一〇月一五日に到来したが、本件のような無記名証券に化体された債権についてはその弁済期が到来しても証券の所持人から証券を呈示しての支払請求のない限り債務者は遅滞に陥らないと解すべきところ、本訴提起前に原告が右のような請求をしたと認めるに足りる証拠はないから、後記の遅延損害金を超える遅延損害金の請求も失当である。

原告が本訴状訂正申立書(昭和五四年二月二三日当裁判所に提出)によつて被告に対し本件貯蓄債券の償還請求をし、被告が右書面を同日の本件第七回口頭弁論期日に受領したことは、本件記録上明らかである(これにより、同日被告に対し本件貯蓄債券の呈示の効力が生じたものとみてよい。)。

四以上から、原告の本訴請求のうち、本件貯蓄債券の券面額合計一五〇〇円とこれに対する本訴状訂正申立書到達の日の翌日である昭和五四年二月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。

(上谷清 大城光代 貝阿彌誠)

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